スピノザという男

スピノザは2000年代以降注目度が高まっている中世の哲学者だ
彼は俺の中でもプラトンやカント、レヴィ・ストロース同様、かなり重要な考え方を提示した人物だ。
クオリティーの形而上学にとっても重要な気づきを提供してくれる
 
 
スピノザはオランダ生まれのユダヤ教徒で、聖書を科学的に分析した始まりの人物とも言われている。
彼の認識は現代人のそれと大きく変わらない。
 
例えば神について。
聖書においても信仰においても神は全知全能と言われている。
神は有限か無限か問われれば無限以外にあり得ない。
有限であるとすれば、神と神以外の世界が存在する事になる。
例えば神は有限で、北半球までがその範囲だとしてしまえば全知全能のパラドクスが生まれる。
南半球に神の影響力はないが私は全知全能で世界の主権者です、とは言えない。
この範囲は過去現在未来、銀河系はおろか宇宙の果てに至るまでが神でなくてはならなくなった。
恐竜が絶滅した事が知れた頃、神は不完全な生き物をお創りになるのか議論になった。
聖書より明らかに前の時代の地層から、失敗した生き物たちの亡骸が出てくる事が神学と嚙み合わなかった
神の無限性は本来ここにも及ぶべきものである。
つまり神は無限で外側を持たない。
この世界の全ては神の内側にある、とするような神の定義を行った。
スピノザの認識では神即自然といって神と自然法則はほぼ同義で、神と言えば一般にイメージされる髭の生えたおじさんではなく世界そのものが神だと論じた。
これは汎神論といって至る所に神があるとする考え方に近く、ユダヤ教の単神教と相反する部分が多く実際に24歳の頃に破門を食らっている。
 
彼の思考は現代人の我々と近く、科学的見地や現在の神秘性の去った冷静な認識によって生まれる当然の疑問などが書に記されている。
 
 
彼の事はこれからもう少し詳しく調べるつもりだが、俺が興味を持った最大の理由は真理の定義だ。
聖書に描かれたり、あるいは聖人として祀られる人々のエピソードに神の預言を賜ったとするものがある。
その中にそれが神の預言である証拠が出てくるものがある。
例えば顔が浮かんだり、聖痕がついたり、何か物が置かれていったり。
こういうものを根拠に自分が受けた預言が悪魔の囁きではなく神自身による真の預言である事の信憑性を高めた。
しかし、それに対してスピノザは言う。
「真理とは、見ればわかるものだ」と。
光が光っている事を見ればわかるように、真理は真理であるならば自明であると言うのだ。
預言の根拠となる様々な証拠についても、それが本当に証拠として意味のあるものなのか、その証拠が本物である証拠はあるのか問う。
本当に真実に触れて預言を賜ったとしたら、むしろ証拠など必要ないのではないか。
真理とは見聞きすればそれだけで明らかであるのだから。
 
 
 
これはクオリティーの形而上学でいう所の前知性的なクオリティーの認知に等しい考えだ。
つまり、いい物は見ればわかる。
それがいい物である証拠をいくら並べてもそれがむしろ虚偽の証拠となってしまう。
前提的な経験や知識を必要とせず、いい物は直感的にわかるはずだ、という仮説との一致。
真理が真理であるならば、光が光っている事をわかるように直ちにわかる、この認識論一つとってもスピノザまじわかってんなコイツと思いました。
 
最近になって自分が何を目指しているのかわかった。
経験的に積み上げた技術によらない作品、現代で言えばマーケや学習的に定義された良さによらない作品をつくりたいのだ。
これを作るために必要となるのが前知性的なクオリティーだ。
スピノザのいう真理のなんたるかはまさに理想的なクオリティーの在り方だ。
見ればわかる、しかもそれは経験的説明的な良さではないもの。
これこそが俺の作りたい作品の根底にある欲求だ。
 
 
スピノザと非マーケ制作の話は続く。