戦略的シンデレラの考察

シンデレラ物語の原型は紀元前エジプトに既に見られ、九世紀の中国にも同型の物語がある。

説明不要の御伽話であり、現代はほとんどの人が一般的な教育課程、あるいは家庭内での教育、育児の過程でシンデレラを知ることとなる。
 
貧しく不憫な少女が魔法使いの力を借りてパーティーに参加し、ガラスの靴を落とした事により王子と再会、結婚して幸せに暮らす現代のシンデレラ物語の直接的な原型は17世紀末にフランスの作家によって完成される。
ここには謙虚に善良でいることが幸福の原資として教訓が添えられている。
 
シンデレラストーリーは物語の類型の一種として確立した様式を持ち、善良だが貧しく身分の低い少女が超現実的なプロセスを経て幸福を手にする。
現代でも多く見られ今も多くの人に好まれやすい物語様式だ。
この物語のカタルシスは、運に恵まれない実力者が急激に正当な評価を受け取ることであったり、真面目に善良に生きてきた人が本人の善良性によって奇跡をおこし社会的な不均衡を打倒することに含まれる。
また、本人は決して野心家ではなく戦略家でもない。
元々不当に貶められていた本人の価値や受け取るべき幸福を奇跡的に挽回するだけで至って素朴な一般人だ。
 
 
仮にシンデレラが戦略的に王子を虜にし、姫の地位を得たのだとしたら物語があらわすものや教訓はガラリと変わる。
シンデレラは素朴で無垢でなければ成立しない。
そして真に懸命な女性であれば、互いに好き合ったことだけを根拠に王子との結婚には踏み込まない
様々な事後の問題が想定されるが、これは間接的に王政の矛盾も露わにする。
封建制の中で不当な苦労を強いられていたシンデレラが、その運命を決定付けてきたともいえる王政側の倅に嫁ぐ倒錯。
これらは物語から客観的にアブダクションされ得る要素だが、元来子供向けの物語であるためか意図的な隠蔽は感じられない。
単にシンデレラが矛盾に気づかないのか、あるいは矛盾を受け入れたのか、王子に改正を促すつもりなのか、王子が改正を約束してくれたのか、実はテロリストなのかはわからない。
いずれにしても単なる美談として見るにはあまりにも突飛であり、厳粛な階級社会がここにだけ再現されないのはそれ自体夢物語で実際には絶対におきないからこそファンタジーであるとも考えられる
 
あるいは王子側のセキュリティーに不足が認められ、一晩踊っただけで心を決めてしまうようなウブさが責められる事になるかもしれない。
独善的にシンデレラを王室に引き込むとなれば王様や王妃、その他現代性の有力者に反発を招く恐れは高い。
反発を受けないとしたら極まった専制体制を予感させ尚のこと怪しさが漂う。
あるいはそんな王子に対する監督不行き届きによって王が批判を受ける可能性もある。
いずれにせよ作中に王子が持つ意思はシンデレラ大好きだけが確かであり、そのために自らの権力を駆使してシンデレラ捜索を行なった。
 
 
このように物語の裏まで踏まえて考えると、単なる超現実的な美談で済ませるには疑問は多く、
シンデレラ物語が人々を魅了する本質はディテールではなく貧しく身分の低い女が高貴で権力を持つ男性と結婚したというリアルバチェラー的な下世話な好奇心を扇情されるためだろう。
 
余談だが2024年のM1では令和ロマンというコンビが優勝した
彼らは2023年の優勝者であり、史上初の二連覇という偉業を達成した。
しかしこの筋書きがさながら戦略的なシンデレラのようで違和感がつのった。
一度王子を射止めたシンデレラが二人目の王子を狙ってまんまと射止めてしまったようなショックである。
再現性を持ったシンデレラは科学でありファンタジーではなくなる
シンデレラは一度も起こり得ないような奇跡の上に成り立つ再現性のないファンタジーでなければならない。