斜真論(3) 【3-2】分割と統合

【3-2】分割と統合
 
 
知性の基本的な役割は、何かと何かを区別することにあります。
それは昼と夜であり、赤と青の区別です。
あるいはもっと単純にあなたと私を区別する手段が知性と呼ぶべきものでしょう。
 
赤い色に「赤」と名付けた時、それは赤が赤以外とは区別されることを意味します。
それは体系的な知識から言えば全体としての色の中で、赤とそれ以外の区別に基づく記号です。
例えば赤が青と目に見えて同じであれば、赤を赤と呼び、青を青と呼ぶ必要はありません。
赤と青は区別されるべき輪郭を有しているために、それぞれ違った記号を付与されているのです。
 
赤はどこから生まれたのか?
これはいささか大袈裟に聞こえますが、この世界全体と言わざるを得ません。
赤とそれ以外です。
つまり我々が生きている世界全体の中で視覚があり、光があり、反射がある中で、光の電磁波としての周波数があり、固有の周波数に対する色彩感覚があるということです。
そしてそれは青と区別され、赤と名付けられて独自の輪郭を持って区別されています。
人類はこの世界の全体から、赤とそうでないものを区別するわけです。
これを分割と呼んでいます。
分割は全体に対して区別することを指します。
 
認識の始まりは全体にあります。
つまり何の区別もないごちゃ混ぜの森とでも考えてください。
長い歴史や個々の感性の中で、天と地を分かち、木と草を区別し、葉と幹を分割してきたのです。
これが成熟して体系化されると知識となります。
天と地を分けたものは人間の知性です。
有用な植物と有毒な植物を分けるのも知性です。
それらが成熟していく過程で科目に分類したり、山とか自然と呼んで統合することもまた人類の持ち得る知性の分割と統合の作用です。
 
 
知性の基本的な役割から考えて、芸術において良し悪しを区別するものも当然知性が関わっているはずです。
たくさんの作品群(全体)から、良し悪しを定める作用は知性の持つ分割の働きと見ることができます。
つまり良い作品と悪い作品は赤と青のように、区別されるべき輪郭を有しているのです。
それらの作品を一絡げに「アート」と呼ぶことも統合の作用と言えます。
 
優れた料理人は塩の一粒を数えるでしょうか?
一粒の塩の有無が料理のクオリティーを作用するとは思えません。
一粒の塩の差を統合し、一粒の差を知りながら「同じである」と分類することも知性の持つ統合の働きです。
一方で海水塩と岩塩の違いを区別し、それらを分割して使い分けることは分割の働きなのです。
 
このように何もかもが繋がりあって区別の付かない全体から部分を見いだし、部分と部分を区別することは芸術に限らない人類が持ち得る知性の力です。
分割と統合の中で、作品と作品が区別される宿命は人が知性を持つ故に避けがたい宿命と言えます。