プラトン、カントについて(テスト版)

私的考察の中で重要な人物はプラトンとカントだ。
 
プラトンは有名な古代ギリシャの哲学者、カントはプロイセン(現ドイツ)の哲学者だ。
その全容について語るには人生はあまりにも短すぎる。
彼らの論説のどこが重要かを指摘するに留める。
 
 
プラトンはソクラテスの弟子として有名だが、イデア論でも有名だ。
イデアとは現実に認識する何ものかの本体の事を指す。
いわゆる形而上学的な説だ。
これの何が重要か言うと、このイデアは禅とオートバイで記述されるクオリティーとほとんど構造が同じだという事だ。
プラトンとパイドロスの論説のイデアとクオリティーをそれぞれ置き換えてもほとんど齟齬は起きない。
 
イデアについて簡単に説明する。
実在する三角形を思い浮かべて欲しい。
これは紙に鉛筆で描かれた正三角形だ。
幾何学の定義によれば点は面積を持たず、直線は太さを持たない。
しかし一般に認識できる三角形の各点は鉛筆で描画され認識できる大きさの分面積を持ち、各直線は太さを持つ上、顕微鏡で見ればその実態は直線的ではなくガタガタしている。
これは厳密な幾何学の定義に沿った三角形とは言えない事になるが、一般的に定規で描かれたような三角形は三角形と呼べるだろう。
この時、頭の中にある点は面積を持たず線は太さを持たない三角形こそが事物の本体で、プラトンはそれをイデアと呼んだ。
紙に描かれて実際に見ている三角形はその劣化した現身に過ぎないと。
これは案外わかりやすいと思う。
 
プラトンは究極のイデアは善のイデアだと言った。
そして何にでもイデアはあると唱えた。
美のイデアもある。
美のイデアの現身である芸術作品があったとしよう。
確かにそれは美しく、ある一定の評価を得られた物とする。
しかし全員がそれを評価したり美しいと思うわけではない。
なぜか?
それは美のイデアの模造品であり、美のイデアそのものではないからである。
美のイデアそのものであるれば全員がそれは美しいと答えるという事だ。
しかしイデアは現実世界とは別に存在するため、美のイデアそのものは表現することは人間には出来ないという考え方だ。
 
 
 
とりあえず次にカント。
カントを論じる本も学者も多いがどれもしっくりこない。
俺にとってのカントとしてその重要性を説明する。
 
カントは認識論について深い考察と鋭い洞察で物事と世界を見定めた。
これはつまり8Kのハイスピードカメラで現象をとらえているのと同じように感じる。
カントは厳密だ。
厳密すぎて認識出来る事物にはまず時間と空間が伴うと論じている
これは当たり前だ。
当たり前だが彼の役割は秒間1000コマで撮られたような世界の一コマ一コマを虫眼鏡で見るような、それこそがカントなのだ。
実に学者らしく、哲学者らしく、厳密で厳格なその視点こそがカントのカントたる所以だ。
 
例えば水滴の動きをハイスピードカメラで一秒間を30秒に伸ばして見たとしよう。
この時の水滴の動きについて、水滴は縦方向の回転と横方向の回転に加え全体の飛翔する方向は放物線を描く、みたいな事を彼は指摘するわけだ。
これが純粋理性批判では事物の認識には感性と悟性があり、我々はアプリオリな総合認識をしている、みたいな厳格な言い方になるわけだ。
つまりカントは認識そのものについて高解像度ハイスピードカメラでみた世界を語っていると思っている。
 
そして彼のした事と言えば形而上学の限度を設定した。
曰く、経験出来ない事、五感で感じられない事をいくら考えたり論じたりしても意味ないよね、という事を設定した。
これは3DCGでいうニアクリップ平面とファークリップ平面という概念にそっくりだ。
ニアクリップ平面とファークリップ平面とは、CGをレンダリング(現像)する際に定めるCGの座標空間の始まりと終わりの事だ。
CGの座標空間はX,Y,Zの原点を0として、正負に数値を広げていく事ができる。
おそらく理論上数字を大きくすればするだけ広い面積で描画ができる。
これはエクセルのセルでも同じだ。
実際に使うのは30や50くらいの行列だとしてもスライダーを引っ張れば無限のようなセル空間が広がる。
広げられるからと言って実際に使う範囲があって、印刷範囲としてこれを設定する。
平たく言えばニアクリップ平面とファークリップ平面はこれと同じで、描いた空間のどこからどこまでをレンダリングするか決める事でデータの無駄なシミュレーションや描画を減らす機能だ。
カントは無作為に広がったり好き勝手論じられる形而上学に対して、非経験的な事を論じるのは意味なしと線を引いたのだ。
 
こうして形而上学、引いては人間の認識の限界を見定めてそこから哲学上の真善美について論じたのがカントという男だ。
 
 
もう一つカントで外せない概念はア・プリオリだ。
これは先験的と訳されるが俺としては前知性的と訳している。
カントはア・プリオリな総合認識にという語をしきりに使っている。
俺が重要視しているのはア・プリオリという概念そのものだ。
 
改訂版に続く