クオリティーのメタフィジック1

ベートーヴェンの交響曲第五番op.67、邦題では有名な「運命」を含むシンフォニーだ。
ベートーヴェンはすごい。
というかプロイセン時代からドイツ人は様々な分野ですごい人が多い。
音楽を聴くとき、具体的にどのようにクオリティーを感じているかを説明する。
 
 
あらゆる作品は全体と部分に分けて考えることが出来る。
閃きによって全体の構想が瞬間的に出来上がっていたとしても、それを具体化していく制作作業は部分に分割されて進められる。
プロセスに決まった流れは無く、前後したり重複したりスキップしたりはどの場合でもあり得るがその中の一つとして例をあげる。
 
作品にはキーとなる要素やテーマがある。
全体において中核となる肝の部分だ。
これがその作品のクオリティーの屋台骨となり顔となる。
創作的な閃きの多くはこの部分について指している。
音楽で言えばAサビやリフ、絵画で言えば構成やテーマ、漫画でいえば世界観を示す設定やキャラクター造詣がこれに当たる
これはコース料理で言うメインディッシュで、これが定まってしまえばこの道に通じるコースを的確に設計していく事になる。
例えばいかなる素晴らしいメロディーであっても10秒で終わってしまっては作品とは言えない。
人間の相対的な時間間隔から見れば短すぎるわけだ。
そこでもっと適切な長さと起承転結の構成を足していく事になる。
何かしら「うまい」と評される部分はここの事だ。
いい素材を十二分に活かすためのこのプロセスには経験的な蓄積や方法論が適用できる。
 
例えば二つの素晴らしいメロディーを閃いたとして、そのまま並べてつなげれば最高の作品になる、とは限らない。
どちらを前にするか、だけでも大きく全体のクオリティーを左右する。
つなぎ目まで閃く事はあり得るが、もしそうでなくてもここをうまくつなぐ作業に慣れているのがプロフェッショナルたちだ。
このプロセスにもセンスは必要ではあるが合理的で戦略的に、もっと言えば事務的に進める事が出来る。
美人で魅力的な女優の卵がいるとしよう。
これは作品で言えばキーの部分で、潜在的に強力なクオリティーを秘めているがそれだけで女優として成り立つわけではない。
その女優を女優たらしめるために必要なステップとプロセスと訓練があり、しかしこれは複合的で経験的に対処することが出来る。
彼女の持つ魅力それ自体のクオリティーは外野が、あるいは本人でさえも調整したりコントロール出来るものではない
 
 
これら作品のクオリティーとなる要素を点としてとらえよう。
点をいくつか用意できたらそれらをつなぐ線が出来る。
線が引ければ更に組み合わせて面を形作る。
面が織りなせば一個の形=作品全体となるわけだ。
点こそがクオリティーの源泉と言えるが、点だけではまだ何ものでもあり得ないのだ。
 
こういった観点からベートーヴェンを聴くと、随所に素晴らしい点が散りばめられている。
素晴らしい響きのフレーズやメロディーは、全くの素人である私にもベートーヴェンの閃きを感じる事が出来る
続いてそれらダイヤモンドの原石のような点群が無理なく美しくつなぎ合わせられている事に気付く。
ここにもベートーヴェンの技量とバランス感覚、そしてここ一般的に努力と呼んでいい部分だと考えられる。
作品を作品として成立させるための作業だ。
これは異分野ながら作品を作る立場として共感できる事が多い。
ベートーヴェンの「仕事」的な部分はここだ。
最後に全体印象。
素晴らしいアイデアを無理なく美しく並べ切って、クオリティーの原子たちを形にした事のすごさ。
おつかれさまと言いたい気分にもなる。
 
 
 
このようにクオリティーとは点に過ぎない。
点は点のままでは失われれしまうし、評価の対象に上らない。
点は適切に配置して形を作らなくてはならない。
形に鳴った時、改めて部分としてのその素晴らしさや美しさが際立つわけだ。
 
絵に関していえば順序は多少ことなる。
絵は先に全体がある。
全体に対して部分の辻褄を合わせていく作業が多いだろうと考えられる。
つまり絵画や二次元美術の方が閃きに負う要素は大きいかもしれない。
基本的に一秒見て素晴らしいか判断できるはずだ。
これぞ前知性的なクオリティーの判断だ。
この一瞬の間に、人間は何らかを読み取り判断できる。
しかしその要素は経験的に学習出来るものではない。
ある作品のいい要素を同じように扱って別な作品を作り出したとしても、同じクオリティーは宿らない。
 
この謎についてはまたの機会に。