カマボコが振る舞われて思わずゲッと思う。
昔からカマボコは敵だ。
カントによれば、カマボコが真に敵か否かは私が定めてもいい。
「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」
カントの有名な一節で、 カントの難解さをわかりやすく伝える際にもよく引用される。
カントの哲学の全容は難解に違いないが、 この一節に限って言えば意味不明ではない。
つまりカマボコが敵か味方か定めるのは私の認識に一任されている 。
カメラで考えると簡単だ。
カマボコをカメラで撮影する。
カメラにはメーカーや種類があって厳密には個々に見え方は違う。
A社は赤色が鮮やかに写り、B社は黄色の階調が豊かだ。
レンズによっても大きく変わる。
カマボコの真の色、真の形がどのようなものであれ、 使用されるカメラに応じて描画される。
仮にカマボコか主体的に白だったりピンクだったりしても、 その時持ち合わせたカメラにモノクロームフイルムが装填してあれ ばグレーの濃淡の差に変換される。
同じカマボコを別々のカメラで撮って比較すれば、 その差はよりはっきりと表れる。
この時、 カメラがカマボコに従っているのではなくカメラがそれぞれカマボ コを、各々のハード的制約に従わせている事を「 対象は認識に従う」と指摘しているのだ。
これは現代では当たり前の認識だが、 カントの時代は今と異なり革新的な考え方だったようだ。
人によって見え方捉え方が違うのは当然の事だ。
包丁を凶器とするか道具とするかは使う人次第で、 包丁が認識を強制する事はできない。
曲解して考えれば人の認識は個々に絶えず自由だ、 ってカントが言ってました… とカントの威光を借りて言い切ってもいいだろう。