138億年前に宇宙が誕生し、 現在も膨張が続き最終的には絶対零度近くの寒々しい空虚な空間に 行き着くと言われている。
いくつか仮説はあるので実際にどうなるかは観測しないとわからな い。
宇宙が絶対零度に至るとしても、 おそらく広大な宇宙では全体が瞬時に終わることにはならない。
もしかしたら地球から観測して、 宇宙の端の方から次々と宇宙の終わりを観測して終焉を見守ること になるかもしれないのだ。
アインシュタインの局所的実在論を持って量子力学を嫌った。
量子力学特有の不確定性が信用できなかったのだ。
有名な「神はサイコロを振らない」という言葉は、 量子力学に対する局所実在論的立場を明らかにするものだった。
局所実在論とは何か?
局所とは「情報は瞬時には伝わらない」ことであり、 つまり観測する粒子が発生したその瞬間には観測が出来ないという 事だ。
バスタブにインクを垂らした時、 インクは落下地点から徐々に全体に広がるだろう。
局所性とはこういった垂らした瞬間には全体に広がらない、 観測はできないという前提だ。
実在論とは哲学的な実在論とは異なり、 測定値は測定前から決まっているとする考えだ。
つまり相対性理論に基づき物理的な運動の法則は全て決まっており 、 全てのデータが揃えば予測可能であるとする決定論的な考え方だ。
結果から言えばベルの不等式という有名で非常にシンプルな数式と 反論によって局所実在論は否定され、 量子力学の考え方がより現実に近いことが証明されている。
【 ベルの不等式 】
-2<C<2
しかし局所実在論の否定されたは実在性の部分である。
つまり「測定前から測定結果は本来定まっている」 というのは誤りだったわけだ。
しかし局所性は生き残った。
つまり相対性理論に基づき何人たりとも光速を超えられず、 光速の速度は変化しない、
という事は情報の局所性、情報も光速を超えないという事だ。
情報が光速を超えないとはどういうことか?
ここで揺らぐのが同時性だ。
同時性が揺らぐとは「私があんまんを食べている時、 彼女は本を読んでいた」が通用しないかもしれないという事だ。
つまり私は無神論者だと自覚してきたが、 実は信仰心を持っていた事が暴かれたのだ。
例えば私が死んだ瞬間には全宇宙的に私が死んだ事実が満遍なく行 き届くと考えていた。
情報は光速を超えず、 局所性があるとすれば地球上で私が死んだ事実は10万光年先の星 では少なくとも10万年事実化しない。
しかし私は死というものを無意識にもっと重大な事として捉えてお り、死の事実に時差が生じることなど考えもしてこなかった。
死はその瞬間的に私自身の世界の終わりであり、 その事実は全宇宙に同時性を持って存在すると考えていたわけだ。
そしてこれが物理学的事実に反するとなると、 何らかの信仰ではなく何と呼ぶべきであろうか?
私が生まれた38年前、 光速近くでその情報を宇宙に飛ばしたとしても、 38光年先つまり359,507,757,958, 070km先までしか事実化してないという恐ろしい仮説。
それよりも先にある宇宙では、 私が生まれた事実が存在しないのだ。
これは実に直感に反する事だが、 光速不変性の不思議を肌で感じる仮説だ。