斜真論(3) 【3-1】線形と非線形

【3-1】線形と非線形

 

現代美術の多くは線形の知識によって専門家が定めるか、非線形の価値によってポピュリズムが定めます。

 
線形とは人類史に基づく認識やマインドの変革に基づいた評価で、専門的な美術史や人文地に詳しいほど正確に判断できます。
非線形とは目で見てそれが鮮烈に映るかであり、それがどんな文脈に基づいた作品であるかに関わらず感性に基づいて下せる判断です。
 
線形に基づく創作は、一見してそれがいかに奇妙であっても文脈上正統性があれば評価できます。
故にそれが美術であっても(文脈によっては)美しくある必要を持たない自由があります。
非線形の自由は過去にどんな歴史があり現代にどんな思想があろうとも、それが鮮烈で強烈であれば評価できます。
文脈を気にせずただ美しさを追求する自由があります。
 
線形は公的でアカデミックな文脈から生まれ、非線形は例えばSNSなどストリートから生まれます。
双方が棲み分けすることが多いですが、線形に基づく作品であっても同時に非線形の価値を持たない作品は結果的に評価されないと考えられます。
線形知識に正しいことに終始しているだけでは美術とは言えず、むしろアーチの一石を為す考古学と言えるでしょう。
正しいだけでは価値は生まれません。
同様にSNSでたくさんのフォロワーを持つ非線形のアーティストも、単にそれだけではインフルエンサーがせいぜいの肩書きです。
 
文脈に正しく、目に鮮やかな線形と非線形の両義的な価値を持つ作品は結果的に評価されることになるでしょう。
どちらか片方の価値観において際立っていても価値があるとは言えません。
美術史で何度も引き合いに出されるアフリカの洞窟の壁画がいかに考古学的価値に満ちていようとも、現代人にとって芸術的価値をもたらすことはありません。
同様にバズっているインフルエンサーがいかにいいね!を稼ごうとも、それが芸術であるかについて議論を呼ぶことは明白です。
 
本来あるべき態度とは線形知識に基づいたそれらの破壊です。
線形を知り、それを壊すように生まれた非線形芸術は、正統性と革新性を網羅的に組み込んだ優れた態度を示すことができるでしょう。