斜真論(4)

【3-4】ア・プリオリは超高速なア・ポステリオリ

 
 
私は初見の作品を観て、それが良いとか悪いとかの判断をほとんど瞬間的にする事ができます。
これは適性だとか才能だとかそういった私個人の特性のためにできるのかと思ったこともありますが、実際には具体的な理由があります。
 
コンピューターの性能を示す指標にCPU(中央演算回路)のクロック数があります。
2.0GHzとか2.6GHzとかいった数値です。
コンピューターの仕組みは基本的には超高速で動く計算機です。
2.0GHzとは秒間20億回の計算をできることを示しています
例えば私が一分間にグラスに注げるコーラの客数が10としましょう。
これを別な仕組みを使って一分間に二千万客のグラスを用意できるとしたらほとんど魔法のように見えるはずです。
コンピューターは超高速の演算能力を使うことで魔法のような機能を提供する道具です。
 
同様に私がある作品を観た時、その作品は絵画だった場合はおそらく四角いはずです。
四角のカンバスの中にどのように収めるべきか?という思案の実績は世の中に星の数ほど存在します。
私自身もいつも四角いカンバスの構成を前提に制作しています。
つまり初めて観るはずの作品に対して、私は既に「四角いカンバスにどのように構成すべきか?」という経験を持って鑑賞することになります。
無数の「四角いカンバスの構成」の知識(経験)に対して、その作品がどのぐらい斬新でどれぐらい熟慮された物なのかの判断は論理的なスピードを遥かに凌駕します。
超高速でほとんど身体的に、卓球で飛んできたボールを打ち返すようにそれが全体から参照してどれぐらい優れているのかを感覚することができます。
 
つまり作品の良し悪しの判断は、超高速で作品全体に対してどれくらい優れているのか?によって推定されています。
これが論理的スピードを超えて速すぎるために「観たらわかる」が発生するわけです。
おそらく病気で具合の悪い時は作品の良し悪しの判断は遅くなると推定できます。
なぜなら良し悪しの判断は超高速の経験からの参照が主な手段であるために、当然脳を含めた身体的な状態に左右されると予測できるからです。
 
卓球などのスポーツの反射神経でいっても、ルールやセオリーによって敵が打つべきコースは予め限られているはずです。
コースが絞られているために予測が立って反応することができるのでしょう。
相手が好きな所に(例えばテーブルではない方向に)打ってもいいルールであれば同じような反射行動はできないでしょう。
 
「観ればわかる」現象は超高速のデータベースから分析的に情報を取り出して感覚に還元していると考えられます。
その作品について時間と興味を持って鑑賞することができれば、誰であれ実際的な作品の価値を導くことができるでしょう。
そのスピードが論理的スピードを超えた時に才能のようなモジュールに見なされると考えられます。