すぐしぬとか言う

私には未達成の「死ぬまでにやって・行って・見ておきたいマジカルミステリーツアー 」の予定がある。

実に語呂が悪い。

思うに人は、意識の防衛本能によって日常において生きるとか死ぬとかその類の真面目なことを遠ざける機能がある。

確かに日夜そんなことを語り明かすにはあまりにもヘヴィーだし、ストイシズムが過ぎて気味が悪い。

好物も、毎日食えば、遠ざかり、などと言うし、必要であり大事なことだとしてもそればかり考えたり行動したりできるものではない。

とは言うものの、本日は3/11、あの大きな地震から丸八年が経った。

SNSなどを流し見すると、大抵の公人はそのことに対してメッセージなり自分の思いなりを記して触れているのが通常のようだ。

彼らの立場からすれば避けがたい必要性は理解できる。

当然、思い思いの言葉を添えている一般の方々も少なくない。

地震があってからは毎年こんな感じで、多少ピリピリした感じは和らいだ気はするが未だに続けられている。

私は当時東京に居たので、帰宅難民化したくらいの被害しか受けて居ない。

関係各所では式典なども執り行われていることだろう。

福島では帰宅できていない方々も少なくないと聞く。

端々から未だ生々しい傷痕が癒えない空気も感じることができる。

千年後の未来では、この事をどう扱うべきか?

これは個々の想像力に委ねられ、気持ちをどう持つかの裁量の話だ。

例えば現代の私は千年以上前の記念日やその類のものを我が事のように勤しんで奉るとすれば、元日か、クリスマスか、それくらいだろう。

そういえば私は年が開けることの何がおめでたいのかを親から聞いたことはない。

年末年始のあの幸福な華やぎの雰囲気は体験させてもらったが、本当は何がめでたいのかを知らないし考えたこともない。

今はグレゴリオ暦にだし、千年以上前から見れば暦も変わって日もズレているし、とにかく年に一回ということが大事だということ以外には意味はないのだろう。

同様に千年後の我々の子孫にとってあの地震はこれまであった自然災害の一つであり、ほとんどの人々にとって千年前の知らない出来事でしかないだろう。

しかしながらその事を実際に体験した我々にしか持ち得ない感情や感覚というものは確実にあるはずだ。

未だ渇ききらない感覚がリアリティを呼び覚まして意識の確度を鮮明に保ち、神妙にその事実を悼むことができる。

これはつまり同時代人、当事者である我々にしかできず、逆に言えば我々しか必要ではない。

丸八年と聞いて私は「いつまでこの感じを続けるべきか?」を考えた。

私個人にはもう震災の余波はない。

すっかり今の日常を築いている。

遠く、ほとんど無関係な誰かが、震災に関連した活動をしていることは多少見聞きすることはあるが直接的な影響は皆無と言っていい。

法事法要で言えば三十三回忌、五十回忌、最大でも百回忌で、それ以降五十年周期での法要となるそうだ。

これにはまったく納得である。

さすが人間、何千年も生き抜いてきて何千年も死んできただけのことはある。

感情を考慮しても適度な長さだと私は思う。

3/11は悲しいだけの日ではないはずだ。

誰かしらの誕生日であるだろうし、誰かしらの結婚記念日でもあるだろうし、個々人の些細なことも含めれば「いいこと」と「わるいこと」はそこまで偏った分布を見せないだろうと思う。

それに人類が死に絶えず、文明が永らえるならほとんど無限のような3/11が幾度となく訪れる。

もちろんその年や人によってその日の意味合いや雰囲気も違う。

人間は誰かが死ぬことについてナーバスになる。

もちろん自分が死ぬことについてはより一層冷静ではいられないだろう。

それが例え自然死であっても、心にあらわれる感情というものがある。

ずっとは考えれれないから、今日少し考えてみる。

11.Mar 2019

さお